関東二校の卒業生が熱く語る
卒業生座談会

6. これはないだろう、シュタイナー教育!

司会:「これは頭にきた」とか、「これはないだろう、シュタイナー教育!」とか、そういうことはありますか?

松浦:ぼくが言いたいのは、サッカーのことですね。小学校の頃はサッカーをやっていたんです。サッカーが大好きだったんですが、賢治の学校に入ったらクラスメイトはだいたい野球派なんです。体育でもサッカーはぜんぜんやらない。7年生くらいのときに、体育でサッカーをやらせてくれって先生に言ったんですね。そしたら「シュタイナーさんは『ボールは頭』と捉えるから、(球を)蹴っちゃいけないんです」って言われて(笑)。それには本当に「はぁ?」という思いで、猛抗議しました。家に帰ってから悔しくて泣きましたね。そのときは先生の壁を打ち破れなかったんですが、高等部に入ってからは体育でサッカーもやってくれるようになったり、教師会に行ってワールドカップを見させてくれと直談判したりして、結局は僕のサッカーの対する想いを受け止めてくれましたが。小中学生だった頃は、「サッカーはダメです」という空気をすごく感じていましたね。

坂本:私は受験勉強をしたので。シュタイナー教育を日本に紹介した子安美知子さんの『シュタイナー教育を考える』という本の中でも、西ドイツと日本の状況を比較した文章があるのですが、日本の公教育は受験偏重の傾向が強いですよね。一方でシュタイナー学園では、表面的な特徴ではありますが、試験はやらないということがあります。

この点を魅力的に感じて高等部へ転入してくる生徒もいるわけです。最近はこの例は結構多いと聞いています。一方で、シュタイナー学園で学んでいても、高校受験をして環境を変えて新たな挑戦をしたい、学園の外の世界を見てみたい、と考える生徒も中にはいます。こうして色々な人がいる中で、12年間在籍した人たちを中心に途中からシュタイナー学園に入ってきた人、途中から公教育の世界に出て行った人も合わせてひとつのシュタイナー教育で学んだ人たちの集まりができればいいと私は思っています。

私は日本の公教育の、点数だけを評価の基準とする点はいいものではないと思っていますが、現実には公教育に触れた経験のある卒業生、同窓生もいるわけですから、シュタイナー教育の方も少し柔軟性を持って、公教育と日本のシュタイナー教育が相互のあり方を考えて、両者が歩み寄れるようなアプローチができたらいいのかもしれません。そのことによってシュタイナー教育がよりよいものになって、この先さらに30年、60年、100年と日本で続いていき新たな役割を果たせるのではないかと思っています。

菅谷:シュタイナー教育への批判ではないですが、興味があるのは、シュタイナー教育で行われているメディアから子どもを遠ざけることが、これからどんどん難しくなっていくと思うので、それについてシュタイナー教育がどういうアプローチをしていくのか興味があります。

司会:シュタイナー教育も再検討してくべき?

菅谷:そうですね。

【次ページに続く】

固定ページ:
1 2 3 4 5

6

7
TOPページにもどる