4. シュタイナー学校の外に出てみて、どうだった?
司会:では、こういう学びの後で、大学に行ったり、他の学校に行ったりしたときのギャップというのはどうだったのでしょうか?
国語のエポックノート(坂本さん提供)
坂本:私自身はそんなにとまどうことはなかったです。藤野のシュタイナー学校では、7年生、中学1年生から古典の授業があったんです。一般の高校で1年生から使うような教材を使って、エポック授業で古典を学んでいました。9年生のときは「伊勢物語」が取り上げられましたが、私はそれを高校の授業と学園の授業と両方で学びました。片方はエポックノートをつくり、片方は教科書で学びました。そうすると、もう、学んでいることの深さが本当に違うんですね。
シュタイナー学園の国語の先生は、ものすごくノートのレイアウトに厳しい方でした。ノートの上に何センチ空けなさいと怒られ、絵もしっかり描かないとチェックが入ってくるんです。ノートの最後にチェックの数が書かれていたりして。そのノートで学んだことは、高校に入ったときでも覚えていました。ですから白いノートを配られて、3週間のエポックが終わったときに1冊仕上がった体験は、すとんと自分の中に落ちていて忘れない。表面的な文法の暗記などではないですから、身に残ったのだと思います。
よく勘違いされることなのでお伝えしますが、その古典の授業でも、読解に必要な文法事項などはきちんと教えていますので、決してそういう部分を無視しているわけではありません。ただ、シュタイナー学園の生徒は、法則を教わる前に何となく自分で法則を見つけ出して、例えば「あ、これ係り結びかな? これも係り結びかな」と、ほぼ正確に直感でわかるんです。
そういうことを、同じ作品を扱った授業をシュタイナー学園と一般の高校の両方で受けてみて感じました。
司会:そういう体験は他の皆さんはいかがですか?
藤井:法則を自分で見つけるというのは、考える力だと思います。ぼくの場合は、シュタイナー学園を卒業した後、すぐにドイツに行ったのですが、そのときはドイツ語がペラペラしゃべれるわけではなくて、ほとんど挨拶しかできない状態でした。英語も片言でした。そのまま、すごくインターナショナルなグループに入って、そのグループと一緒にドイツ各地でボランティアをするプログラムに参加しました。20カ国ぐらいの国から集まった30人ほどのグループの中で、日本人はぼく一人でした。
グァテマラ人、ペルー人、タジキスタン人など、もう、とにかくぐちゃぐちゃだったわけです。みんなドイツ語がペラペラなわけでもないし、英語が得意な人はいましたが、でも、みんなが英語をしゃべれるわけでもないですから。スペイン語、ロシア語、とにかくいろいろな言葉が飛び交っていて、でも、それでも何とかコミュニケーションはとれるんですよね。
知らないところへポンと行っても、なんとなく生きていける力はつくというか。何をしたらいいかわからないということはなくて、何とかなるだろうと自分で考えてやっていける、そういう力はついていくと思いますね。
松浦:ぼくの場合、シュタイナー教育の英語教育の特徴はそんなにないと思っていて、文法の授業や単語の授業などは普通にあった気がします。英語はぜんぜん好きではなかったし、得意でもなかった。それで、ずっと自分は得意じゃないと思っていたのですが、11年生のときにニュージーランドに交換留学で2ヵ月行って、そこで変な自信がついたのですね。打ちのめされはしたのですが、なぜか自信はついた。よくわからないですけれど。
ぼくはたぶん、賢治の学校で最初に現役で受験した大学生なんです。12年生(高校3年生)で、シュタイナー学校のカリキュラムの勉強をしながら、同時進行で受験勉強もして、一般で合格できたんです。受験勉強で英語は一切勉強してないです。していないのに、センター試験でいちばん点数がよかったのが不思議だと思いました。ずっと英語が苦手だと思っていたし、文法の授業などは真面目に受けたことなかったのに、点数が取れる。文法の教科書の勉強は、ぜんぜん必要なくて、ニュージーランドに飛び込んだことなどの方が、語学の学びにはつながっていたのだろうと思います。
それから、ぼくは今、鳥取で学生しながら民泊を運営しているのですが、民泊の内装工事なども自分でやろうと思うし、料理も自分でやろうと思うし、裁縫も自分でやる。とりあえず一通りの経験値があって、「とりあえず自分でやってみよう」みたいなことができる。それが周りの子たちを見ていると、「それ、買ってこよう」となるのだなあと感じますね。「自分でつくれるじゃん」というのは、シュタイナー学校卒の強みだという気がします。
司会:革靴も作ったのよね?
松浦:革靴も作りました。