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デジタル化時代の子どもの教育憲章

2018年10月15日 更新

「デジタル化時代の子どもの教育憲章」解説

IT技術の発展により、私たちの子どもたちが生活する日常の環境ばかりでなく、第4次産業革命の担い手を育てるという目標に向けて教育環境にもIT機器が浸透してきています。そのような流れのなかで、ヴァルドルフ/シュタイナー教育はIT機器の教育現場への導入はもとより、家庭環境での使用に対しても保守的な対応をしていると言われます。実際、ヴァルドルフ/シュタイナー学校では、学びにおいても家庭においても、子どもの判断力が自立する16歳頃を目安として、それまでは彼らがIT機器に触れにくい環境を教師と家庭が相談して整える取り組みを続けてきました※注

この姿勢はけっして社会の流れに逆行するものではなく、子どもたちが大人になった際に、高度なテクノロジーを人間性にかなったかたちで使いこなしていけるよう、根本的な能力を育むための配慮によるものです。100年にわたって実証されてきた実践的な人間学に裏付けられた取り組みにより、子どもたちの健康な成長と豊かな学びが実現されているのです。

この事実を、世界中のヴァルドルフ/シュタイナー教育実践者が確認しあい、それを社会的な認知へと高めるための一助として、日本シュタイナー学校協会が加盟する国際ヴァルドルフ教育フォーラム「デジタル化時代の子どもの教育憲章」(Pädagoginnen und Pädagogen und die Digitalisierung der Kindheit - Charta der Internationalen Konferenz der Waldorfpädagogischen Bewegung)を採択しました。

以下にその全文の邦訳を公開します。この資料が、子どもの本質に基づいたIT機器との新しい関係の創出に寄与し、さまざまに応用されていくことを願っています。

日本シュタイナー学校協会 2018年10月

高等部の高度なコンピュータ学習の例

※注 16歳前後に訪れる判断力の成熟の後に行われるシュタイナー学校高等部でのIT機器の学びでは、高度に専門的な技術的内容が取り扱われます。

デジタル化時代の子どもの教育憲章

国際ヴァルドルフ教育フォーラム(2018年5月採択)

デジタル技術が日常生活に浸透し生活の形を変えている現在、新たな挑戦が社会に向けて、とりわけ教育の分野に向けられている。しかしながら、デジタル化の世の中で子どもに何が必要なのかについての論議は、経済的な関心と利害の側面に偏っている。明日の世界に必要な創造力を子どもにもたらすことができるのは、子どもの成長に基づく教育だけであると、私たちは確信する。

私たちの7つの原則
  1. 全人的な学校教育は、子どもの発達に合わせて行われる。子どもの成長の基盤となるのは、すべての感覚に訴える多面的な経験と体験である。[詳細]
  2. メディアに習熟することは教育の目標であるが、それは子どもにふさわしい方法によってのみ成し遂げられる。[詳細]
  3. 責任あるメディア教育は、メディア使用のいくつかの危険を考慮し、危険性を最小限にとどめるよう努めると共に、危険性に賢明に対処できるように子どもの力を強めようとする。[詳細]
  4. 子どもの発達原則に基づく教育は、まず始めに子どもの行動力、社会的能力と知力を強め(間接的メディア教育)、その上にメディア使用の能力を築いていく(直接的メディア教育)。[詳細]
  5. 子どもの発達の課題と成長の歩みに基づくメディア教育のカリキュラムは、幼児期と小学校低学年では、原初的な実際の体験に重点を置く。たとえば手で書くことなどアナログメディアもそこに含まれる。この基礎の上に、後の学年において、デジタル機器を用いたメディアの学習を積極的に構築する。[詳細]
  6. 幼児教育施設と学校は、それぞれ独自に、どのように教育と授業を形成するかについて最大限の自由を持たねばならない。それゆえ、教育施設と学校は、学校教育の初期にはアナログメディアだけを用いる権利と可能性を有する。[詳細]
  7. 経済的な利害関係が、教育の本質を決定することは許されない。[詳細]
1.全人的な学校教育は、子どもの発達に合わせて行われる。子どもの成長の基盤となるのは、すべての感覚に訴える多面的な経験と体験である。

人間を主軸とする教育形成にとって、子どもの体と心の発達が根本の尺度である。およそ8歳までは子どもの身体が最も発達する。それゆえ、幼年期に、基本的なものから多岐にわたる運動能力と言語を発達させ、感覚および感覚器官が形成されることが、重要な意味を持つ。身体を段階的に使いこなせるようになることと脳の組織化とは、互いに関連している。脳の健全な成長は、能動的な身体の活動と感覚を通した体験と歩みを共にすることによって、可能になる。

学習の始まりの時期には、それぞれの文化に根ざした「アナログな」能力を培うことが、第一義となる。およそ12歳の頃に前頭葉が成熟し、それが衝動の制御と判断力の基盤となる。デジタル機器を扱うことは、この年齢以降、教育的に有効である。健康な青少年が自立して思考し行動できるのは、16歳の頃からである。この理由から、このアルコールやニコチンの購買と摂取に厳しい年齢制限が設けられているのであり、運転免許も、16歳から18歳を最年少として取得可能となる。

2.メディアに習熟することは教育の目標であるが、それは子どもにふさわしい方法によってのみ成し遂げられる。

学校教育を修了するまでにデジタル化された世界の要求に応えられるようになることは、現代のすべての教育にとって自明の目標であり、世論の一致するところでもある。しかしながら、そこで集中して論議されるべきは、「メディアに習熟する」という教育目標をどのように達成するかという方法論である。なぜなら、子どもの身体と心の健康的な発達要求を考慮することが、人間としての成熟、ひいてはメディアの習熟にとっての必要不可欠の前提だからである。

3.責任あるメディア教育は、メディア使用のいくつかの危険を考慮し、危険性を最小限にとどめるよう努めると共に、危険性に賢明に対処できるように子どもの力を強めようとする。

自動車技術は人類の重要な進歩だった。今日では、付随する有害な現象も明らかになっているが、誰もそのために自動車を廃止しようとはしない。それでも、事故や排気ガスなどの有害な付随作用を最小にする努力が強化されている。

デジタル技術も同様に、人類の大きな躍進であると共に、オンライン中毒などの有害現象を伴っている。デジタルメディアの使用の危険性は、小さな子どもほど大きい。ディスプレイメディアは「時食い虫」となって、子どもから個々の活動時間を奪い、そのことによって彼らが現実世界に対処するための能力を培う機会を減らしている。ヴァーチャル空間で満腹できないように、ディスプレイ画面の中で、子どもは身体を健やかに成熟させることができない。

4.子どもの発達原則に基づく教育は、まず始めに子どもの行動力、社会的能力と知力を強め(間接的メディア教育)、その上にメディア使用の能力を築いていく(直接的メディア教育)。

間接的メディア教育は、デジタル技術の時代の中でも大切な力を培う。それは、集中力、自制心、自発性、とりわけ情報を知識へと転換する能力である。サイバー攻撃が様々に繰り広げられる時代にあっては一層、子どもが敬意と注意深さをもって他の人たちと接することのできる体験を現実に持つことが、大切となるだろう。間接メディア教育は、デジタルコミュニケーションの時代にとりわけ用いられるべき社会的な成熟を、子どもの中に養うことになる。

5.子どもの発達の課題と成長の歩みに基づくメディア教育のカリキュラムは、幼児期と小学校低学年では、原初的な実際の体験に重点を置く。たとえば手で書くことなどアナログメディアもそこに含まれる。この基礎の上に、後の学年において、デジタル機器を用いたメディアの学習を積極的に構築する。

メディアの習熟の前提となるのは、いわゆる「古い」メディアを使いこなすことである。デジタル技術をめぐる現代の論議は、「古い」メディアを使いこなすことが、デジタル情報技術に熟達することの不可欠な前提であることを忘れている。今日においても、メディア教育は読み書きをもって始まる。書くことがきちんと出来ることが基盤になって、その上にすべての多様なメディアの使用が可能になる。

デジタルはアナログを引き継いでいる。アナログ技術の多くの基本的な考え方が、デジタル技術に転換されている。アナログ技術の理解の上に立つと、それがデジタル技術によって拡大されていることを包括的に解明できるだろう。

子どもを基準として子どもに向かう教育の根本は、幼児期と低学年ではまずアナログ技術を教えることにある。12歳以降に、情報技術についての原理を伝える。開始にあたっては、まだデジタル機器を導入することなく行う。ハードウエアとソフトウエアは15、6歳になって思考力の諸前提が整ってから、日常の学習の中に包括的に取り入れられる。そのようにして、デジタル機器は意味のある教育構想と結びつく。若者たちは、たとえばビデオフィルムやウェブサイトを自分で制作したり、テキストをオンラインで公開したり、学校に関するテーマで寄稿したり番組を作るなど、デジタルメディアを能動的に使用する可能性を優先的に持たねばならない。

6.幼児教育施設と学校は、それぞれ独自に、どのように教育と授業を形成するかについて最大限の自由を持たねばならない。それゆえ、教育施設と学校は、学校教育の初期にはアナログメディアだけを用いる権利と可能性を有する。

公的な予算の使用にあたって、デジタル機器の調達が、子どもにふさわしい建築や教員研修の機会に優先するべきではない。親と教育者は、自分たち自身が、メディア使用の模範となれるようにメディアの専門知識を持つための上質な研修を必要とする。

7.経済的な利害関係が、教育の本質を決定することは許されない。

デジタル技術の進歩は急速に前進して、日常と仕事の世界を目覚ましく変えている。学校もこの事実を考えに入れなければならない。しかし今日の論議は経済的側面に偏っており、経済と経済に押された政治による「デジタル教育」というスローガンのもと、デジタル機器の使用が学校に押し寄せている。スマートフォンとタブレットは、無線LANによりどこでも使用されているが、子どもの体と心の成長からの要請と課題は、ほとんど顧みられておらず、子どもを守る空間も置き去りにされているのである。

(訳:はたりえこ 2018年8月)