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2015年8月15日 更新
シュタイナー教育(ヴァルドルフ教育)に基づいた学校づくり、幼稚園・保育園づくり、教員養成などの教育普及に関わる活動のすべては、ゆるやかなネットワークをつくりながら国際的なヴァルドルフ教育運動を形づくっています。そこには、教育施設や教員の認証などの教育的質保証に関わる取り組みや、国際的な高校卒業認定制度の制定、シュタイナー教育の成立基盤である教育自治の確立に向けた法的な活動も含まれます。
これらの活動はすべて、その地域や現場ごとのニーズから自発的に生まれてくるものであり、何らかの上位機関の計画から生まれるものではないことがとりわけ重要です。教育は自由な人間精神の所産であるべきだからです。しかしそうだとしても、シュタイナー教育がシュタイナー教育としてのアイデンティティーを保持するためには、何らかのガイドラインが必要になるでしょう。「何をもってしてシュタイナー教育と呼べるのか」という問いは、様々な場面で繰り返し問われるからです。そのために、各国の代表者が国際ヴァルドルフ教育フォーラムに集い「シュタイナー学校の基本指針」の策定を行いました。
国際ヴァルドルフ教育フォーラムに代表を送っている日本シュタイナー学校協会は、この指針を尊重した活動を行っていくとともに、必要に応じて指針に対するフィードバックも行います。
指針は二部構成になっています。
指針が二部構成をとる必要性があることは、多様な現代社会のなかでシュタイナー教育にもまた多様な発展過程があることを物語っています。
この基本指針は定義として与えられるものではなく、「特徴づけ」と呼ばれる手法で描写されています。そのことにより、指針は活動を限定づけるものではなく、本質を保ちつつ発展していくビジョンとして働くことができます。以下の指針をそのような生きた像として活用していただければ幸いです。
Updated 17 May 2015
by INTERNATIONAL FORUM FOR STEINER/WALDORF EDUCATION (HAGUE CIRCLE)
2015年8月 はた りえこ訳
国際ヴァルドルフ教育フォーラム(ハーグサークル/以下この名称で記述)は、2014年11月14日イスラエルのハルドーフで行われた会で、「ヴァルドルフ教育の基本標識」の文章について話し合い、それを承認した。さらに2015年5月ウィーンでの会議において、訂正加筆が為された。この文は、世界に広がるヴァルドルフ学校運動のための方針として、概括的に記述されている。文化的な特殊性を持つ標識を、自国で使用するために補うことが可能である。基本標識は、多様性と個別性を重視し、個々の学校の発展を力づけるためにある。
ヴァルドルフ/シュタイナー学校の認可のためには、ヴァルドルフ教育の本質要素を特徴づけることが不可欠である。認可された学校は、ヴァルドルフ学校の世界リストに記載され、リストにはハーグサークルが責任を持つ。
ここでは、ハーグサークルが、ヴァルドルフ教育の本質的特徴と理解する標識が、開かれたかたちで記述されている。現時点での理解は発展途上にあり、時と共に加筆訂正されるだろう。しかし、教育の基盤である人間学は変わらない。
ここに書き表された基本的特徴は、個人あるいは組織の指針(たとえば自己査定)のためにも、また、ヴァルドルフ/シュタイナー学校の認可のためにも使用することができる。
ヴァルドルフ/シュタイナー学校の基本的特徴とは、以下のものである;
ヴァルドルフ教育運動は、国際的なネットワークを形成し、その中に、一つ一つの学校が自立して存在する。それぞれの学校は、地域、地方、国、国際レベルで、同僚として、友人として、また運営体としてつながっていく。同じ意識を持って地方、国、国際レベルで交流することは、学校自体の仕事に力を与える。海外の学校とパートナーシップを結ぶこと、設立されたばかりの学校や、困難を抱える学校を助けることもまた、こうした交流の形である。教員、親または生徒の代表が、地方・国・国際レベルで行われる研修や大会に参加することも、ここに含まれる。
互いに認め合うこと、本質的標識と一致している、という意識は、こうした結びつきを強める。孤立、閉鎖性、協働する意志の欠如は、それを妨げる。ヴァルドルフ/シュタイナー学校が、自分の置かれた周囲の社会とつながって公の生活に参加することも、連関の一つである。
それぞれの学校を、他と交換することはできない。学校は、その特性、長所、発展力のすべてを含む存在によって、独自である。学校組織を形作ってきた誕生の歴史や、場所・地域、設立メンバー(教員と親)が存在基盤を成すが、それ以上に根幹となるのは、ルドルフ・シュタイナーによって基礎づけられたヴァルドルフの教育芸術を、現実化するやり方である。シュタイナーが素描し叙述した教育芸術をどのように実践するか、それが教室で、授業の中でどのように感じ取れるかは、個々の学校の状況による。すなわち、教師が生徒と営む教育、教師による教材の変換の仕方、教育芸術の基本テーマが実践的に使用されており、その方法が、アントロポゾフィーにもとづく人間学の意味で年齢相応、といったことである。一つひとつの学校が、今述べた様々な領域で、創造的に責任を持って対処することが肝心である。
これらが学校の存在基盤の大部分を形作っているが、学校たるゆえんは、一人ひとりの教師と教師会の中に感知される「内的感覚」によって完成される。教員の多くが、アントロポゾフィーに助けられながら認識と自己教育につとめ、そのことに開かれた内的姿勢を持っているかどうかが、学校の存在基盤に刻み付けられる。職業への喜びと、教育の基礎としての人間認識への努力が、個々の学校のまとう独自な空気となり、総じて学校精神の、心の表現となる。
カリキュラムは任意のものではなく、ヴァルドルフ教育の構成要素である。年齢に応じたカリキュラムの使用は、それが生来の発達を映し出しているという理由により、子どもと青少年の発達を力づける。カリキュラムは、これからも変化していくものであり、地理的・文化的な位置、また時代と政治の歩みや、一般的なグローバルな発展によって進化していく。
それぞれの学校は、異なる文化的・風土的・政治的な空間に存在している。そのことがカリキュラムに及ぼす影響は、ルドルフ・シュタイナーが、学年段階にふさわしい雰囲気をつくりだすために提案した教室空間や学校建築に比肩され得る。
各地域と国が有する歴史は、世界史にある性格付けを与え、カリキュラムにも作用する。
個々の学校は、公の教育機関からの要求に、それぞれのやり方で対処する。例えば、どの程度ヴァルドルフ/シュタイナー学校のカリキュラムが受け継がれるかは、各国の政治状況による。また、ルドルフ・シュタイナーが与えた授業への指示のうちで、本質的に文化価値や意味と深く関連するものは、教育上の作用が変わらない限りにおいて、相応する文化内容によって補われるか、あるいは替わられなければならない。外国語の授業は、多言語の国ではそれに応じて為される。その際、シュタイナーの外国語の授業への方法的・実践的指示と同様に、異なる言語の質的な特殊性も授業形成の指針となる。
多数の宗教が共存する国では、学校は、それに応じて、宗教の授業、学校行事や祝祭を行う。
親からの要望があった場合は、宗教の授業は、他の宗教機関によって行われることが出来る。
多くの国々では、国からの要求がカリキュラムにも影響を及ぼし、ヴァルドルフ教育における子どもの発達の理解と反駁している。その影響は、学齢期の早期化から様々な学習の早期化にまで及んでいる。学校はそれぞれのやり方で、ヴァルドルフ教育の精神を守ると同時に、法律の規準にも合致する解決策と方法、そして妥協案を探し出す。張りつめた状況の中で、可能性と理想との間の実りあるコンセンサスが生まれ、それは創造的な働きと、カリキュラムを通した子どもの発達の促進へつながる。
子どもは、信頼によって教師と環境と結ばれ、世界を感知することにより、成長し学習する。ヴァルドルフ教師は、命に満ちた結びつきを創り出すために、特別の責任を担っている。
青年期において、この結びつきは変化する。生徒は、今や、様々な分野から自分の前にある世界と出会い対峙し、自分自身の判断、感情、行為へと促されるからだ。高等部の教員が、自分の専門を持ちつつも、若者たちが自分自身の要求を発見し、これからの人生を導き出していく勇気を持てるように、彼らと出会う能力があるかどうかが、決定的に大切になる。
授業が上手くいくとは、生徒の中にさらなる質問を呼び起こし、彼らが退屈する代わりに、人と世界への関心を発展させ、それを示すことである。学校は、試験準備のための成績のプレッシャーが、心と体の健康な発達の要求とバランスを保つような解決方法を見出す。
教育を抽象的な知識の集積ではなく、生命と結びつけることが、ヴァルドルフ教育の目標の一つである。そうして初めて、学校は教育課題にふさわしいものとなり、力強い思考・感情・意志を持つ人間性が、卒業生の後の人生の質となるだろう。知情意・三つの心の力が互いに調和して働くかどうかで、人が自分自身の道を進むことができるかどうかが決まる。そして、三つの力がどのように「私」の中に統合されるかが、人の性質に作用する。芸術的な授業は、そのために最も重要な方法の一つである。芸術的授業という言葉からは、様々な形が考えられる。
芸術的な授業形成においては、方法そのものが芸術として生命を帯びているために、方法が目的でもある。教師は、できる限り、出来上がっている方法を避け、自分の方法を編み出すようにする。ただし、芸術性が目的となってはならず、教育的理由から用いられなければならない。
ヴァルドルフ/シュタイナー学校を構想する際に、ルドルフ・シュタイナーによって与えられた、いくつかの本質基盤となる形がある。それらは一面では人間認識を、他面では学校の社会的課題を根拠にしている。
ヴァルドルフ学校は設立された後、通常、一クラスに一クラスを積み重ねてゆっくりと大きくなる。個々の学校イニシアチブは、発展し成長する。有機的な中学年段階の発展に、高等部が続く。時期尚早の高等部の設立は、学校の存立を危うくしかねない。教育的課題が困難に陥らないために、学校の発展と成長は均衡を保って進むべきである。
学校の規模は、学校組織の健やかさと、その教育的・社会的課題の取り上げ方に影響を及ぼす。
学校組織の健康状態は、経済にも作用する。大部分の国では、ヴァルドルフ/シュタイナー学校は国に助成されておらず、学校の費用は、親の学費で賄われている。そのため、学費に加えて寄付を募る国が多い。多くの学校では、健全な経済を保って学校を発展させていくために、熱心に取り組まれ、解決策が見出されている。
ヴァルドルフ/シュタイナー学校の土台は学校共同体であり、親と教師と子どもたち、そして協力者たちどうしの人間的な交流である。すべての共同と協働は、人間性と人間の尊厳に基づいている。参加するもの皆が共同するとは、序列の形を作ることではない。物事の決定を含む学校運営のすべての過程において、透明性と、追体験により理解可能であることが(個人の、そして機関の権力の代わりに)追求される。これが、一人ひとりが共同体に関わって、自分の周りにある学校を感知することの基盤である。クラスの会、面接、教育相談、子どもの描写などの様々な催しや会合が、教師と親との出会いを可能にする。そうした場で教師は、可能な限りに細心に「人間的なるもの」を育てなければならない。
ある学校で、このような努力がなされている、と感知されるなら、その学校は、自分の社会的責任に自覚的な施設というプロフィールを得ることになる。
ヴァルドルフ/シュタイナー学校の運営には、教師と親が共同で責任を担う。組織と構造のあり方は、両者に共通の意図に相応する。既に何十年かを経た学校では、構造や決定に至る道筋、運営理念を根本的に精査することが勧められる。
学校運営とは、ヴァルドルフ学校の課題と理念をより明確に意識し、絶えずそれに向かって働くことだ。それは、教育の根底としてのアントロポゾフィーを共に学ぶことによってのみ、可能である。ヴァルドルフ学校の運営は、全てを結びつけるヴァルドルフ学校の精神の中に据えられており、学校の精神は、教員たちと親たちが教育の根底を学ぶことの中に現れる。
ヴァルドルフ/シュタイナー学校は、自治(すなわち国によって管理されない)組織である。教師と親が学校を方向づけ、それにふさわしい組織を生み出す。学校の形態、組織、経済、運営などは、この土台の上に立って様々な方法で営まれていく。今日では、とりわけ、仕事と責任を委任する様々な形について、それが学校の使命と一致し同意を得るように、関わる人たちで話し合い、取り決められている。
このような形の学校運営が、ヴァルドルフ学校の決定的な標識となる。
総じて、次のように言えるだろう。ヴァルドルフ/シュタイナー学校とは、教師が精神を燃え立たせて生きている場所だ、と。精神の火は、重さを軽くし、不可能を可能にし、闇の中に光をもたらす。
Updated 17 May 2015
by INTERNATIONAL FORUM FOR STEINER/WALDORF EDUCATION (HAGUE CIRCLE)
2015年8月 はた りえこ訳
ヴァルドルフ推進協賛校の名称の下に考えられる学びには以下のようなかたちがあげられる。
更に、次のような形もヴァルドルフ/シュタイナー教育に触発された学びに含まれる。
上記の学校には、次のようなヴァルドルフの要素が存在する。
ヴァルドルフ推進協賛校の社会的位置づけは、上述の要素の存在と質に関わっている。ヴァルドルフ学校は、その性質上、認知されること・認可されることを求め、すべての学校と共に活動しようとする。学校の評価は、上述の要素がどのくらい、どのような質で存在しているかを基準に行われる。
ヴァルドルフ運動は、ヴァルドルフ/シュタイナー教育を推進しようとする様々な学校の種を見出し、認めようとする。私たちは、正式なヴァルドルフ/シュタイナー学校と並んで子どもの全人的教育のために社会的な任を果たす新しい流れと関わり、実りある共同につとめる。