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2021年1月6日 更新
2021年、あけましておめでとうございます。
どのような状況の下にあっても、地球の巡りと共に日付は新しくなり、新年の太陽が地上を照らします。昨年1年の間に、地球上の様々な状況を思いめぐらす想像の光景は、以前より広範囲になったのではないでしょうか? 地球全体が、同じ時期に、Covid-19と名のついた試練に直面し、それはなお続いています。毎日、国内の、世界中の様子が伝えられてきます。親しい者たちの間で情報や知らせが交換されます。
生活の困窮と不安の中にある方、大切な方と悲しい形の別れをなさった方に想いをいたすと共に、休みない働きを続け緊張と疲労が続く医療関係者の方たちに、感謝を表します。
最も大きな変化の一つは、人の行き来が困難になったことでした。国内もそうですが、国際間の人と人との直接の交流の波がぱったり途絶えました。
デジタル化の進む現代にあって、直接体験を通して感覚を育成する幼年期を守り、学齢期以降も、生き生きと調和のとれた子どもの心身の成長を根幹に、社会の技術革新に対応していこうとする私たちは、オンラインの学習や会議をどのように学校に入れていくかという課題に向かいました。1年前のシュタイナー教育100周年の様子が、多くの者たちの心に去来したと思います。日本中の、そして世界中の生徒や教員たちが集い、国や民族の敷居を越えて育ち続けるこの教育の「今」を祝った熱や耀きは、どこへ行ったのだろう、と。
けれども私たちは、懐かしむ代わりに、あの耀きを生み出した内的な光を実感し、それを現実を導く力にしたい、と思います。そのあたたかさを行動の源にしたい、と望みます。どのようにしてそれは可能になるのでしょうか。
つい最近、私は、一つの場を体験しました。台湾のシュタイナー学校でのことです。
11月半ばから2週間の隔離期間を経て1か月間、台中と台北の二つのシュタイナー学校で働くことができました。この渡航は、これまでの台湾とのつながりの上に、それをたやすまいとする多くの努力のおかげで実現しました。複雑な書類申請と、頻繁な連絡と、当たり前でなくなった海外との行き来に神経回路をとがらせた後には、子どもたちと大人たちと心から触れ合い出会うオイリュトミーの日々が待っていました。
今日お話しするのは、でも、授業や講座についてではありません。
ある一夕、私は、一つの学校で開かれる集いに招かれました。10人ほどの小さな集いで、その学校の教員もいれば、このために集まってくる人たちもいました。みな、普段はそれぞれの教育や医療、芸術活動の只中で活動を担っている人たちです。
それは、シュタイナーの言葉と講演に向かう時間でした。シュタイナーの残した数多くの言葉の中でも、特に、私たちの内面への探求の道筋を示す講演とその中の言葉です。小さな教室がそのためにしつらわれていました。
そのような集いは世界各国で行われているのですが、何より私の心に触れたのは、集まってくる人たちの開かれた明るさ、真摯でありながら軽やかな喜びでした。隔てなく互いを受け入れる準備が、出会う人皆の中にありました。会の最初に、冬至の光を迎えるためのオイリュトミーをしました。それは私にとっても、言葉の中に身を置いて言葉が人となることをあらためて感じさせてくれる時間となりました。
翌朝、また教室に戻ったその部屋の前を通り過ぎた時、私は、昨夕、この部屋の中で、人達の間に灯っていた「光」が、学校の活動を照らし支えていることを、はっきりと感じ取ったのでした。
人間の文化の営みと同じく、シュタイナー教育も、思想から、言葉から生まれています。言葉は、息を―身体のみならず心の息吹も―吹きこまれて現実に生きるものとなります。教育を生み出した思想の源に向かうために、その「言葉に向かう」、頭だけではなく、全心身にゆきわたる作業として行う―内的な作業を、心が、それこそ渇くように求める時、そのための時と場を、私たちはつくります。一人ひとりの作業は、継続的に他の人と分かち合うことで、もっと大きな活力のもとになります。
思うままに行動できない時が続くからこそ、私たちには目には見えなくても大切なものに向き合う時が与えられています。困難な時は、人の精神性が問われる時なのかもしれません。精神性は、人の発する言葉に宿ります。そんな力が、教育の中で育まれて行くことを願い、新年のご挨拶といたします。
この1年が、持続していく未来へ進む年となりますように。
みなさまの健康と幸せをお祈りいたします。
2021年1月5日